驚いた本-「日本語文法ハンドブック」 [本]
本というか、日本語を教えるための勉強で使う教科書なのですが。
この本ではなんと、ラ抜きは真っ向から肯定してありまして、
裏表紙にびらんとついている活用表にもしっかり載っているんです。
先生に教えてもらってびっくり。
えぇ~!「教えるときはラ抜きは教えません」って、習ったのに...。
ラ抜きは目くじら立てることではないというのでしょうか。
というか、現状文法上正しいと言われていることと巷の現象と両方教えろというのでしょうか。
混乱しそう...。
でも確かに現実を見つめると、その通りではあります。
イ・ビョンホンが携帯のCMで「ついてこれるかな?」と言ったり、
BoAちゃんが「感じれる~」と歌っていたりするのは、
外国人だからいいよ、別に、と思えるのですが、
街中の言葉は気になって気になって仕方がありません。
まだ正式にいいとは決まっていないから。
だれか偉い人(文部科学省とか?国立国語研究所とか?)が
「ラ抜きも日本語文法として正式に認めます。バン!(判の音)」
と言ってくれればすっきりするのですが!
最近読んだ本-「わたしの嫌いなクラシック」 [本]
いつでも前向き。
常にそうあるのはちょっと疲れてしまうかもしれません。
たまには後ろ向きの発想も面白いかなと思い手にとってみました。
また、「好き」ではなく「嫌い」だと公言するのは勇気がいることだと思います。
生半可なアプローチでは「好き」だという人たちの袋叩きになってしまうかも。
よく勉強している人だからこそ書ける本なのではないかと期待もし。
面白かったのは、モーツァルトの「魔笛」の章。
-麻原彰晃の歌声は、はっきりいって癒し系である。
坂本龍一のボソボソ声で少し照れ気味の歌い方とまったく瓜二つなのである。-
本題とは直接関係はなく、たとえの部分なのですが、妙に納得。
「ショーコーはひどいことをしたし気持ち悪い」というのは私の主観的な印象であって、
大勢の人がそう思っているに違いないと考えるのも私の主観です。
あの宗教の信者だった人はそうは思わなかったわけです。
ちなみにこの章の本題とは、
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モーツァルトは単純な二分法での考え方に一石を投じていて、
そんな深遠なことを語っているオペラなんてオペラっぽくなくて嫌い...。
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というような内容にまとまっています。
それにしてもこの作者は「クラシックマニア」だなと思いました。
もの凄く勉強しているものの、エライ先生とは違う立場でものを見ているので、
教科書的ではなく率直な意見。
私自身もっと、もっと勉強しなくてはこの本の面白さはわからないと思いますが、
未熟な私にも「そんな曲なんだ、そんな演奏家なんだ~」と、
入門書のような役割としても意味ある本でした。
同時にいわゆる通説とされている評価についても知っておかなくてはなりませんが。
最近読んだ本-「コトバの謎解き ソシュール入門」 [本]
日本語教師になるための勉強には、
言語学をかじるというのも必要なことです。
そこで少しでも馴染んでみようと手にした本。
私は常日頃、音楽と言語の共通点や相違点について
考えをめぐらせているのですが、
<※音楽も言語(言葉)もとても興味があることで、
なぜ自分が興味を持っているのかを追究したいので。>
コトバの持つ「線状性」というのは音楽との共通点かなと思います。
音楽の場合は一度に色んな音が出せるので、
1本の線であるコトバとは違いますが、
絵や写真や図などのように眺められるものではなく、
「時間」が必要だという点で共通しているように思うのです。
シニフィアンとシニフィエ。その間の「恣意性」。
恣意的ならなぜそれが選ばれているのか。
各言語の様々な環境が影響して何か必然的にそうなったのではないのか?
ふむふむと思いつつ、そうかな~とも思うこともあり。
やっぱり、ソシュールってすごい人なんだ~!
さらっと読めて面白かったな。
でもいざ内容を思い出そうとすると、結構忘れてる...。
読後感は爽やかさと切なさがあいまった1冊です。
なるほどと思った本-「なんのための日本語」 [本]
外国人で日本語を知りたい方々に日本語を教える。
いつか仕事としてやりたいと思っています。
そのために読んでみた本です。
世界中で話されている英語ですが、
「正しい英語」にこだわる意味がないとのこと。
それぞれの場所での人々のコミュニケーションとしての英語。
日本語も同じです。大事なのは「伝わること」。
もちろん基本的なルールは身につける必要がありますが、
第2外国語として学ぶ人たちが「ネイティブ」になる必要はないのです。
今はこつこつ細かい部分を教えるようなことも勉強していますが、
「コミュニケーション重視の教え方」というのも、
大分取り入れられているようで、心強いです。
実際教える場面に出会ったら、その人が望む方法で、
日本でのコミュニケーションに役立つような日本語を、
一緒に考えられたら良いなと思います。
そのためには常日頃自分の日本語をチェックしなくては...。
面白かった本-「子どもはことばをからだで覚える」 [本]
子どもはどうやって言葉を獲得していくのか...。
日々息子の様子を目の当たりにしているということもあり、タイトルに惹かれて読んでみました。
まずはメロディー(音の高低)から認識し出し、
体の動きと連動するように言葉を獲得してゆくとのこと...。
そしてその初期のメロディーとはモーツァルトの音楽のように規則正しい美しさのあるものの方が、
不協和音のようなものよりも好まれ、それは生得的なものらしいということです。
モーツァルトの素晴らしさは人類共通の認識?!
また、そういえば息子がまだ0歳の頃、
「ベビーサイン」で会話できるようにしてみようと意気込んでいたものの、
日々の忙しさにかまけて本格的には試すことができなかったのですが、
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・おいしい→片方のほほを手のひらでたたく
・もっともっと→片方の手のひらを片方の人差し指でつんつんとつつく
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などは、こちらが教えるともなく自らやっていました。
動き回るようになった今では言葉だけでなく体全体を動かして何かを表現しようとしています。
以前テレビで人や国の名前を即座に覚えてしまう天才少女のことが紹介されていましたが、
その女の子は言葉を発しながらひっきりなしに動いていました。
「言葉」を獲得する際に、絵や人の説明などによってもたくさん覚えることができるかもしれませんが、
目と耳と口だけでなく、手や足など他のいろいろな器官も使って習得すると、
より頭(脳)に刻み込まれるということでしょう。
とすると、まずそれが何なのか、受け取るときに、
「体で感じる」=「体験する」
とより身にしみて、自分のものになって行くでしょう。
子どもにはできるだけいろいろなことを「体験する」環境を整えてあげられればなあと思います。
好きな本(こども編)-「ねこねこ10ぴきのねこ」 [本]
この本は、長崎の出版社「童話館」によるもので、
そこのこども用宅配ブックサービスで送ってもらったものです。
最近ではなく昨年手元に届いたものなのですが、
息子も大のお気に入りで、今でもよく眺めています。
なんといっても絵が美しい!
猫ちゃん好きでなくても楽しめます。
絵本はこどもがいなければそうそう買わないものだと思うので、
こういうものに出会えると、息子よありがとう!と言いたくなります。
なるほどと思った本-「りんごは赤じゃない」 [本]
先週か先々週の週末の朝日新聞の書評を見て興味を持ち、読んでみました。
太田先生、素晴らしい!
自分が小学生の頃にこんな先生に出会っていたら、
人生変わっていたかもしれません。
私自身何かに「真剣に取り組む」ということができるようになったのは、
紆余曲折を経て大人になってようやくできるようになったのですが、
こどもの頃にそれができるようになっていたら、
今頃何かすごいものを目指していたかもしれないのです。
そして教師ならずとも、親としてこのくらい真剣にこどもと接すれば、
こどもも自分の頭で物を考え、自分で選択して行くことのできる、
本当の意味での「強い」人間に育ってくれると思いました。
でも、そうするためにはまず自分自身がしっかりしなくてはなりません。
家の中で四六時中そうしていることは私にはちょっとできそうにありません...。
また、もし自分が通っている学校の先生がみんなこんなに熱心だったら...。
息をつくヒマもなく、具合が悪くなってしまうかもしれません。
「みんな違って みんないい」
あくまでも、「教育者としての姿勢のお手本」として、
参考にしようと思いました。
お気に入りの雑誌-「ちくま」 [本]
筑摩書房のPR誌「月刊 ちくま」
は薄いですがなかなか読み応えがあって楽しめます。
かれこれ10年以上の付き合いです。
時には読まないでいるうちにに次の月の分が送られてきてしまうこともありますが、
気がついたときに読める手ごろな大きさ、ページ数、そして価格。
7月号ではこのあたりが面白いと思いました。
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中野翠 :[小津ごのみ]2・浦野理一のきもの
斎藤環 :[家族の痕跡]23・みせるための夫婦とは?
高橋英夫 :[音楽が聞える]3・反復と変化の中で
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中野さんのエッセーを読んでから小津映画を見ると、
普段とは違った視点で見ることができました。
特に6月号に出ていた「おはよう」の着物やカーテンの柄の話は、
「なるほど」という感じでした。
斉藤さんの文章はAERAなどでもよく取り上げられるような現象について、
端的な言葉で真をついた言及で、日ごろぼんやり感じていた疑問に、
光をあててくれたような感覚を得ました。
高橋さんの文章からは「萩原朔太郎、読んでみよう」という気分になりました。
昭和初期の詩人たちへの音楽的(特にクラシック音楽)影響について、
以前から興味があったのですが、一番重要であると思われる朔太郎の詩を、
そういう視点で読んだことがなかったので、いいきっかけになりそうです。
また、HPには「Webちくま」というWeb版のオリジナルの読み物があるのですが、
こちらはまだほとんど見たことがありません。
Web上で縦書きで本のように読めるという試みはなかなか良いと思うので、
たまには見てみようと思います。
気になる雑誌-「幻冬舎 papyrus」 [本]
幻冬舎からこの6/28に「papyrus(パピルス)」つまり「紙」という名前の
新雑誌が創刊されました。
私は駅に隣接した本屋さんの店頭で知りました。
表紙は久々にご登場のみぽりん(中山美穂)。
出版社は?と見てみると幻冬舎。
幻冬舎といえば、郷ひろみの「ダディ」を発売した時の印象が強く、
戦略的な出版活動を繰り広げている出版社だというイメージがあります。
どんな雑誌なんだろう?と手にとって見ると...。
みぽりんのロングインタビューをはじめヒデ(中田英寿)や
ヤイコ(矢井田瞳)の記事が載っているかと思えば、
川上宏美や乙一の読みきり小説まで。
そして小説の新人賞まで新設するといいます。
ふーん。おもしろそうじゃん。とは思ったものの、購入までには至りませんでした。
なぜ、このインターネットの時代にあえて「紙」という名の雑誌なのか?
確かに様々な場所で活躍されている方々を登場させることで、
今までにはない「文芸雑誌」という感じがしますが、
インターネットで分野を選ばず様々な情報を得られるような状況で
真新しさが感じられない気がしました。
「文字」に関しては効率性、利便性でWebの方が印刷物より適しているのでは?
印刷物がWebに品質で勝てるのは「写真」や「絵」なのでは?
確かに単行本がベストセラーになることはよくあり、
読み物は印刷物のほうがだんぜん読みやすいです。
でもこれは雑誌。単行本とは性格が違います。
もしかしたらこんな素人印象を覆すような大ヒットが待っているのでしょうか?
ちょっと注目してみたいと思います。
売れ出したら買ってみようかしら。
感動した本-「ハッピーバースデー」 [本]
「ハッピーバースデー」
あるキリスト教会の牧師先生の礼拝での説教の内容を紹介した文章で、
この本のことが出てきました。
その後いろいろ調べてみると各新聞でも紹介されているようです。
ちょっとあらすじを読んだだけで涙が出てきてしまい、
是非全部読んでみようと本屋さんに急ぎました。
「ああ、あすかなんて、本当に生まなきゃよかったなあ」と母親の冷たい言葉に、
声が出なくなったあすか。
その後兄や祖父母、学校の先生などに支えられ
命の大切さに気がつき前向きに生きるようになったあすかは、
そんな棘だらけの心を持つようになった母親の闇にも光を与えるようになります。
「尊重」とは何か。「命」とはなにか。
本当に大切なものについて気づかせてくれ、力強く生きて行く勇気を与えてくれました。
とても平易な文章で、小学生でも読めるのではないかと思いましたが、
実はオリジナルの児童書版というのがあります。
あとがきによると、この児童書版を読んだ子どもたちが「ぜひ大人に読んで欲しい本」として
「お母さん、この本読んで」「先生、読んでみて」と、大人たちに薦めてくれたそうです。
できるだけ幅広い読者に読んでもらいたいと思い、
「虐待をするに至った母親の気持ちをもっと知りたい」
という読者からのメールなどにも背中を押され、加筆修正したのがこの文芸書版だとのことです。
児童書版も読んでみようと思っています。